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たいせつなことだけ

掲示板が閉鎖する

 


 

 

約12年間ほど利用した掲示板が閉鎖することになった。
先程、急いで最後の投稿をした。もちろん誰からも反応はない。全盛期の友人たちはもうほとんどいないから。


思えばずいぶん長いこと、閉鎖する掲示板を利用させてもらった。
最初にその掲示板を知ったのは中学2年生のとき。中1から不登校になっていたところを2年生になるし、がんばるか〜という感じで復帰して、なんとか学校へ通って、部活もして、夏休みに差し掛かる少し前くらい、『小説を書けるサイトがある』と聞いたから覗いてみることにした。

それまでほとんどインターネットをしたことがなかったから、こんな世界があるのかと驚いた。どこの誰だか知らないひとたちが小説を書いている。それが不思議だった。読者もついている。
よくよく見てみると小説だけじゃなくて、詩や日記、エッセイ、雑談する場所、ひとつのジャンルについて話す場所、キャラクターになりきって話す場所、相談する場所、議論する場所がある。そこで初めて掲示板を認識する。
とにかくたくさんのカテゴリがあり、そしてものすごい量のスレッドが毎日立ち上がり、話し、ときに誹謗中傷が飛び、削除され、という場所。

 

誰でも匿名で書き込みができるし、目の前に相手がいないし、思ったことを自分の言葉で書けることはすごく良いと思った。
適当に小説を始めてみるけど、全然続かなくて次第に日記に移動した。そこも毎日毎日、ものすごい量のスレッドと交流だった。
自分でもスレッドを立てて日記を書いた。部活のこと、勉強のこと、家族のこと、匿名だから誰にも言えないこともそこに書くことができた。


夏休みに入って掲示板にのめり込む時間が増えた。
部活にはなんとなく行っていたけど、やっぱり途中で行けなくなった。いじめって消えないものだし、教室にいても居心地は良くなかったし、いっしょにいてくれる子もいたけど、またいつ裏切られるのかと思うといつも不安だった。(今思うと申し訳ないけど)
先輩(面をした人)が、スカートの長さがどうとか、学校に来ない間は何してたの?とか、親が離婚して名字が変わったので、親が離婚しちゃったの?とかわざわざ聞いてくるんだわ。うざいよね。言わなかったけど。
家族も崩壊していて、ずっとどうしたらいいのかわからなかったし、心の中のモヤモヤを誰にも言えないうちに、どんどん死にたくなっちゃって。とりあえず、死ぬか。と思った。

でもいざ死ぬかと思うと、どうも進まなかった。
どうしようもなくて、とにかくどこかに苦しいことを吐き出したくて、毎日「死にたいな〜」とか「ほんと辛い」とか「いなくなれたらいいのに」とか「消えたい」とか、思うままにスレッドに書いた。毎日が限界で、生きるのに必死だった。

掲示板っていろんな人の投稿が読めるから、ほかの人の日記も読みに行ってみた。そしたら、死にたいとか消えたいって書いている人、めっちゃめちゃたくさんいた。わたしだけじゃなかったことにかなり救われた。
「画面越しの誰かががんばっているから、わたしもがんばろう」じゃなくて、「死にたいって思ってもいいんだ」、「自分と同じ気持ちをしている人がいるんだ」っていう安心感。自分だけじゃないことが、そのときのわたしは本当にうれしかった。

結局、夏休みの間ずっと掲示板で日記を書き続けて、同じような気持ちをしているひとたちと交流した。気持ちを共有したり、相談したり、傷の舐め合いみたいなときもあったかもしれないけど、でもそれで心が安心したし、なによりひとりじゃないって思えた。そこがもう、わたしの居場所だった。

2学期から学校は行かなかった。
その掲示板にずっといた。そこにしか居場所がなかったから。

 

 

そんな始まりから12年、さっきまでお世話になっていた掲示板。
わたしが書いて残してきた言葉がほぼ全部そこにある。どれくらい文字を書いてきたんだろうね。いろんなハンドルネームでやっていたから、もうログを探しても全て見つからないだろうけれど、何万文字?何億文字?書いたかもしれないね。

中2〜高3くらいまではとにかく死にたい時期。あとオタク全盛期。
18歳〜22歳くらいまでは、たまに死にたいっていうか。時々、消えたいっていうか。生きるのが難しいっていうか。うまくいかない期。
22歳から今日までは、岐阜にきてからの出来事ばっかり。こんな発見をしたとか、地元を離れてどう思うとか、こんな人と出会うとか。結婚するとか。どんどん日々に感謝できるようになってくるけど、たまにもう無理〜みたいなときはあった。それでも10年前よりはずっと落ち着いた。おとなになったなぁ。心の調子をみてあげられるようになったというか。

 


そして、この12年間でいろんなひとに出会った。
今はSNSで気軽に繋がれるけど、当時はネットで出会うなんて危険!という意識が強いときだった。
ネットで出会った人と連絡先を交換するなんて絶対やっちゃダメ!ってもう耳にタコできるほど言われたけど、自分で見極めながら連絡先を交換したし、電話した人も、メールした人もいる。もうほとんどの人と連絡はとれないけど、今でも繋がっている人もいる。実際に会った人もいる。そのときの喜びはもうすごかった。ほんとに会えるなんて思ってなかったし。会えたのは社会人になってからがほとんどだけど、それまでの数年間、ずっと文字だけでやりとりしていた人と会えるなんて。

できることなら全てログを残したいくらいだし、すてきな作品たちすべてを読み直したいとも思う。けどもう、そんな時間もなさそうだから、このまま閉鎖されるのを待つことにしました。
利用していた人たちが最後だからと、新たな活動場所を書き残してくれているおかげで、このあとも素敵な言葉に触れることができそうです。それだけはほんとうによかった。即フォローしに行った。

 

主に自分の気持ちの置き場として利用していたけど、最初に小説が書けると教えてもらってから、いろんな小説を読んだし、知らない人の日記も読んだ。すごく美しい短編小説を書く人もいたし、あたたかい文章を書く人もいた。とても憧れた。
いろんな人の本にはならない言葉をもっと読みたかった。本にはないおもしろさがあったのに。
文章の書き方はほとんど掲示板で学んだというか、そこでの書き方が身についている(染み付いているのほうが表現的には正しいかも)。正しい書き方ではないかもしれないけど、書けないということはあまりないし(これが仕事になると苦手なんだけど)、言葉の引き出しは多くはないけれど、できるだけやわらかい言葉を選べるようになったと思う。

 


居場所のひとつがなくなるって、心に小さい穴が空くね。
ぽっかりではないんだけど、ちょっと痛む。たいせつだったんだなって思う。
なくなるときっていつも急で、じわじわ悲しみがこみ上げてくる。普段からたいせつにしているつもりでも、なくなったときの悲しみや後悔はどうしようもない。
ましてや今回は居場所。どうしたらいいんだろうね。わたしの日記はいつもだいたい1000文字くらい。140文字じゃ足りなくて、でもほかのSNSでは気軽な交流は難しい。掲示板であるからこそちょうどよかった。

いつか居場所づくりをやりたいと思っているから、そのことを掲示板にも書き込んでいた。
居場所の形はいろいろあるけれど、今はわたしを助けて、支えてくれたこの掲示板のような世界がほしいって思ってしまう。
いろんなひとと会話できる場所、顔を合わせなくても話せる場所、自分だと知られずに書き込める場所。ほんとうに心地よかったから。

ネット上にも居場所があるって思う。わたしにとって、掲示板はずっと居場所だった。現実の世界で救われることが全てではないし。
その気持ちがさらに強くなったし、すこし前に立ち上げた匿名でのお話サイトをもっと居心地の良いものにしたいと思う。

 

 

閉鎖する掲示板に出会えなかったら、今こうして文章を書くこともなかっただろうな。
どうにもならないモヤモヤと、辛い気持ちを抱えて、いまでもどこかで彷徨っていたと思うし、もしかしたら消えていたかもしれない。そう考えると、命の恩人じゃん……。

ほんとうにもう、めっちゃくちゃ悲しい!けど、出会えてよかった。
なんかね、何度も思うけど、今までのこと全部間違ってなかったと思う。
ずっと死にたかった人間が、今、笑って生きてることでそれを証明しているよね。

いろんなひとと出会って、いろんな世界を知って、いろんなひとに助けられて、今日のわたしがいる。
どの気持ちも忘れないように、良いことも悪いことも全部残してあって、わたしの12年間がぎゅっと詰まっている。
消えるなんて嘘みたい。どこかに残っているとしても、もう見えないなんてさ。
というか、こんなに落ち込むなんてね。自分でもびっくりしちゃう。

 

 

 

出会ってくれたひとたち、素敵な言葉を読ませてくれたひとたち、
運営のひとたち、ほんとうにありがとうございました。
またどこかで、「え!?あの掲示板やってました!?」って人に出会えたら、絶対たのしいな。いつかそんな日が来ますように。

 

 

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2020.6.16