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たいせつなことだけ

本日の落ちてる猫です 展を終えて


9月1日は、まるぴの12歳の誕生日でした。
ずっとあたためてきた、「本日の落ちてる猫です」展、2023年9月2日〜2023年9月24日まで、岐阜の喫茶星時さんにて開催することができ、無事に終了しました。

Twitterでの言葉なども引用しながら(引用がとても多いです)、すこし振り返りをしたいと思います。



ほんとうは、まるぴの10歳の誕生日で開催しようと考えていたけれど、ちょうど妊娠したタイミングで、びっくりするほどつわりがひどく、かなしくも断念。
それからまた2年ほど撮りためて、落ち猫がスタートしてから、気づけは3年ほどが経っていました。

展示に向けての準備は、春からのろのろとやっておりましたが、7月後半から本格的にスタート。
3年分の写真を集めて厳選するところからでした。
これがものすご〜く大変で、定期的に集めておこうと思いました。

厳選は何度も、何度も、何度も、、、数え切れないほどしました。
なんせ1000枚まではいかないけど、500枚は超えているので……。
夫とも相談し、自分のベストショットも入れつつ、なんとか39枚に絞りました。
夫好みの落ち猫と、わたし好みの落ち猫には、思っていたより違いがあって(たまに、いくつもかわいいのが撮れたときに、SNSにアップするのはどれがいいかな?って相談していたりします)、意外な落ち猫を選ぶな〜と感じたり、好みはひとそれぞれだなぁと、展示でお客さまとお話しても、「え!それを選ぶんだ!」と感じました。

それから、グッズ用の写真も集めました。
こちらは日常写真から厳選だったので、落ち猫より写真がたくさんで、どうしようかと思うほど大変でした。
さらには2年前にやってきた、えんとりんの写真、生まれた娘の写真もあるので、スマホの中がねこねこねこ赤子赤子ねこねこ赤子ねこ赤子という状態。
ヒィハァゼェハァしながら写真を集めて、なんとか厳選しました。

選び抜かれた写真たちは、展示されたり、グッズになったり。
落ち猫写真だけ、39枚だけじゃ物足りない!もっと見てほしい!の気持ちになったので、追加で小さくプリントしました。
アルバムにして星時さんへお渡しし、たくさんの方にみていただけたのではないかと思います。


グッズはたくさん作りました。
わたしは写真を撮っただけで、夫が作業や入稿をしてくれました。
夫がいなかったら、今頃かわいいグッズたちはありません……。

作ったのは、
・ZINE A4サイズ 76ページ
・ポストカード 2種
・アクリルキーホルダー 3種
・ステッカー 5種
・シール 3種
です。

シールの入稿が一番大変だったそうで、夜中まで作業してくれました。
ほんとうにありがとう。

ZINEも思っていた以上の出来上がりでした。
基本的にスマホで撮っているので、どこまで引き伸ばして大丈夫か不安だったけど、ZINEも写真も、きれいに仕上がっているのではないかと思います。


最後の土日、9月23日と最終日9月24日は在廊しました。
たくさんの方に見に来ていただくことができ、とてもとてもうれしかったです。

友人は近くの友人も、遠くに住んでいる友人も。
地元の富山からも、いつも遊ぶふたりが来てくれました。いつもありがと〜。
なかよしのオタク友達も来てくれました。離れて住んでいるけど、ここのところ月1で会っている。いい調子!

駅近くのギャラリーでも写真展が開催されており、そちらで教えてもらってここに来ましたという方も多くいて、宣伝してくださり、ありがとうございました。

星時さんにカフェしに来たら、たまたまやっていたけど、ねこちゃんかわいいね〜と反応してくださった方、それからはじめましての方もありがとうございました。

はじめましての方と人見知りのわたしは話せるのか?と思ったけど、やっぱり自分の家のねこのことなら、どれだけでも話せてしまうんだな……と感じました。
うるさいぐらい話して失礼しました……!
はじめてだけどたくさんお話しさせてくださって、ありがとうございました。

グッズもたくさんの方が購入してくださり、アクキーはほぼ完売状態でした。
(WEBショップにすこしだけ残っています)
ZINEも思っていたより手にとっていただき、うれしいです。
アクキーやステッカーは、いろんなところへ連れ出してもらえるとうれしいです。
おでかけ先で、ぜひ落ちてる猫を撮ってくださいね。


こうして、いろんな方とお会いできるのも、展示を開催する中でのたのしみだと感じます。
そうだ、差し入れもたくさんいただきました。
少しずつおいしくいただいております。お心遣い、ありがとうございます。
ひとりで食べてね!と念押しされたものは、ひとりでモリモリ食べています!

在廊までにどうにか痩せようと思っていたのですが、痩せることはできませんでした。
しかも前日、トリートメントをケチって使って、髪はバッサバサになり、少し前にかわいい色に髪を染めたんですが、それも退色気味……!
そんなわたしでしたが、展示を見てくださったみなさんとお話できて、たのしかったです。
ほんとうにありがとうございました。

そして、会場の喫茶星時さんには、ほんとうにお世話になりました。
ありがとうございました。
店主、ゴロさんの「いいね〜やろっか!」という、受け入れがなければ実現しなかった!
それから、ゴロさんも我が家でねこたちを愛でてくれているので、安心してお願いすることができました。

展示前に、ちょっとわたしの心がいじけちゃって、思ったことをTwitterに書いたときがあるので、残しておきます。

どこで開催するか、までを含めて展示だと思っています。
いろいろギャラリーはあるけれど、落ち猫にぴったりなのは星時さんだったと思う。

星時さんで開催するなら、額装でもない、パネルでもない、もっと手の込んだ展示でもない、壁にペタペタ貼っていくスタイル。
展示方法についても夫とちょっと話になったんだけど(一瞬、不穏な空気になった)、落ちてる猫は額装でも、おしゃれな装飾でもなく、日常っぽい、とにかくたくさん落ちているを見てほしい気持ちが強かった。

あと、落ち猫見ながらおやつを食べれるってハッピー。
ゴロさんのおいしいケーキ、行くたびに食べました。
アクキーは、ストローに引っ掛けて写真撮るのが、最近の流行りなんだって!
みんな、ぜひやってください!ケーキに落ちててもかわいいけど!

23日は、ちょっと抜け出して、星時さんの近くにある川島さんでジェラートを食べた。
ゴマジェラートのおいしさにびっくり。焼き菓子とプリンも絶品です。

24日の夕方は、お相撲も千秋楽でした。
この日は星時文具店のマコさんが、文具の販売や紹介をしていたので、いっしょに過ごしていました。
夕方頃にわたしたちは、だいすきなお相撲を見始めるという。
隅っこの席で、最初は小さな声でコソコソワイワイしていたんだけど(たぶん)、熱海富士と朝乃山が出てきてから、もうワーワーするしかなかった!

お客さまが1組いたのだけど、途中からいっしょに見てくださって、最後の優勝決定戦も、貴景勝の優勝インタビューもいっしょに見ました。
ああよかった。推しの貴景勝が優勝したのも、優勝インタビューの内容がよかったのもあるんだけど、こうやってワイワイしながらお相撲見れたのがたのしすぎて。
こんな時間が無限に続けばいいのになと思ってしまった。

でも無事に展示は終了しました。
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました。
星時さんにいる時間は、ゆっくりしているようで、爆速で過ぎていきました。

帰りに鶏肉のおいしそうなお店でテイクアウトしようと思っていたら、もう営業時間終了だったのか閉まってた。
仕方ないのでコンビニに寄って、ちょっと豪遊して帰った。
帰宅したら、夫が唸ってのたうち回ってて、救急行かせたら尿管結石でした。
娘は寝ずにウキャウキャ元気にしていて、寝かしつけへ。
いや〜〜〜〜〜、帰宅してまでドタバタでした!
夫は無事です。石も出たらしい。健康診断へ行かせます。


展示を終えた次の日、ちまちま片付けやWEBショップの準備をしていたら、祖母から電話が。
9月のはじめに母が展示を見に来たのだけど、祖母は来れず。
そのため、祖母へZINEを送って欲しいと、前に言われて、先週送ったのが無事に届いたよとのことでした。

ZINEには実家のあれこれ、わたしが秘密にしてきたことを大っぴらに書いたので、このZINEを祖母に……?というか、母にも見られる……?怒られるじゃん……と思いつつも、渋々実家へ送りました。
電話がかかってきて、あ〜これはお怒りの電話だな〜と思ったら、祖母がZINEを読んで、大変感動して涙したこと。
このZINEを、自分のきょうだいにも読ませたいから、追加で数冊購入したいと言ってきて、あまりにもびっくりして、「はい、送ります」と、そっけない返事になってしまった。

どのあたりが祖母にヒットしたのかわからないけれど、よかった。
何より、怒られなくて……よかった……!
写真もすごく良いし、文章がとても良いと褒めてくれた。
長年出来の悪い一族でありましたが、こんな才能持っているなんて!と、めちゃくちゃ褒めてくれるので、こっちもちょっと泣きそうになった。褒められ慣れていない。

個人的に、写真よりも文章を褒められるとうれしい。
文章のほうが、その人の時間を多くもらっている気がする。
涙するほどとは、じっくり読んで、わたしの言葉から何か感じるものがあったり、わたしの気持ちが伝わったのかな、と。
学生の頃、引きこもりして、掲示板にのめり込んで、ずっと言葉や文章を書き続けた日々が無駄ではなかったと報われる瞬間に、また出会えた。
長く続けてきたことを褒められて、しかもそれが身内でこんなにうれしいことはないと思う。

早速、祖母へ追加のZINEを送る準備をしています。
しかし、祖母以外のきょうだいの皆さんは、頭が良い方ばかりなので、これはまた緊張。
ZINEは、ところどころ誤字や、文字のミスがあって、ちょっと恥ずかしい。
でも、初版なので(再版予定は今のところないけど…)、間違い探しのような感覚で見てもらえたら!

それから、展示の感想ノートにZINEの文章について触れてくれた方、ありがとうございました。
読んでくれたんだなって、心がじんわりしました。
写真から伝わることもあるけど、わたしの言葉もいっしょに届いたのなら、とてもとてもうれしいことです。
久しぶりに言葉の宝物をもらいました。

これまで文章を書いてきてよかったし、これからもできるだけ書き続けていきたい。
写真も撮り続けたい。
改めて、そう思った瞬間でした。

そうだ!ZINEやグッズ、販売しております。
もしよかったらこちらからどうぞ。

spica0.thebase.in

売り切れているものもチラリとありますが、まだたくさんあります。

 

さて、
ZINEのあとがきにも書いたのですが、本日の落ちてる猫を続けてきて、今思っていること。
さみしい話だけど、この先どれくらい続けられるかわからないということ。

まるの年齢的なこと、日々変わっていくわたしたちの生活のこと、きっといつか続けられなくなる日は、絶対に来ます。
ずっとはないんだなぁって毎日、ふとした瞬間に思う。
だけど、いつか続けられなくなる日まで、まるとのたくさんたくさん思い出を残して、いっしょに寝て、撫でて、匂いを嗅いで、ぎゅっとしたい。
できるだけ長く、いっしょに過ごせたらいいなと思っています。

どこまで続けられるか、いつ終わりがくるか、どうなるのかわかんないけど、これからもすきなところで、すきな時間に、すきな場所で、まるが気持ちよく落ちていてほしいと願っています。

ゆる~く続けていきますので、これからもゆる~く見守っていただけますと幸いです。

とてもしあわせな3週間でした。
すてきな時間を、ほんとうにありがとうございました。



2023.9.27 はれ



掲示板が閉鎖する

 


 

 

約12年間ほど利用した掲示板が閉鎖することになった。
先程、急いで最後の投稿をした。もちろん誰からも反応はない。全盛期の友人たちはもうほとんどいないから。


思えばずいぶん長いこと、閉鎖する掲示板を利用させてもらった。
最初にその掲示板を知ったのは中学2年生のとき。中1から不登校になっていたところを2年生になるし、がんばるか〜という感じで復帰して、なんとか学校へ通って、部活もして、夏休みに差し掛かる少し前くらい、『小説を書けるサイトがある』と聞いたから覗いてみることにした。

それまでほとんどインターネットをしたことがなかったから、こんな世界があるのかと驚いた。どこの誰だか知らないひとたちが小説を書いている。それが不思議だった。読者もついている。
よくよく見てみると小説だけじゃなくて、詩や日記、エッセイ、雑談する場所、ひとつのジャンルについて話す場所、キャラクターになりきって話す場所、相談する場所、議論する場所がある。そこで初めて掲示板を認識する。
とにかくたくさんのカテゴリがあり、そしてものすごい量のスレッドが毎日立ち上がり、話し、ときに誹謗中傷が飛び、削除され、という場所。

 

誰でも匿名で書き込みができるし、目の前に相手がいないし、思ったことを自分の言葉で書けることはすごく良いと思った。
適当に小説を始めてみるけど、全然続かなくて次第に日記に移動した。そこも毎日毎日、ものすごい量のスレッドと交流だった。
自分でもスレッドを立てて日記を書いた。部活のこと、勉強のこと、家族のこと、匿名だから誰にも言えないこともそこに書くことができた。


夏休みに入って掲示板にのめり込む時間が増えた。
部活にはなんとなく行っていたけど、やっぱり途中で行けなくなった。いじめって消えないものだし、教室にいても居心地は良くなかったし、いっしょにいてくれる子もいたけど、またいつ裏切られるのかと思うといつも不安だった。(今思うと申し訳ないけど)
先輩(面をした人)が、スカートの長さがどうとか、学校に来ない間は何してたの?とか、親が離婚して名字が変わったので、親が離婚しちゃったの?とかわざわざ聞いてくるんだわ。うざいよね。言わなかったけど。
家族も崩壊していて、ずっとどうしたらいいのかわからなかったし、心の中のモヤモヤを誰にも言えないうちに、どんどん死にたくなっちゃって。とりあえず、死ぬか。と思った。

でもいざ死ぬかと思うと、どうも進まなかった。
どうしようもなくて、とにかくどこかに苦しいことを吐き出したくて、毎日「死にたいな〜」とか「ほんと辛い」とか「いなくなれたらいいのに」とか「消えたい」とか、思うままにスレッドに書いた。毎日が限界で、生きるのに必死だった。

掲示板っていろんな人の投稿が読めるから、ほかの人の日記も読みに行ってみた。そしたら、死にたいとか消えたいって書いている人、めっちゃめちゃたくさんいた。わたしだけじゃなかったことにかなり救われた。
「画面越しの誰かががんばっているから、わたしもがんばろう」じゃなくて、「死にたいって思ってもいいんだ」、「自分と同じ気持ちをしている人がいるんだ」っていう安心感。自分だけじゃないことが、そのときのわたしは本当にうれしかった。

結局、夏休みの間ずっと掲示板で日記を書き続けて、同じような気持ちをしているひとたちと交流した。気持ちを共有したり、相談したり、傷の舐め合いみたいなときもあったかもしれないけど、でもそれで心が安心したし、なによりひとりじゃないって思えた。そこがもう、わたしの居場所だった。

2学期から学校は行かなかった。
その掲示板にずっといた。そこにしか居場所がなかったから。

 

 

そんな始まりから12年、さっきまでお世話になっていた掲示板。
わたしが書いて残してきた言葉がほぼ全部そこにある。どれくらい文字を書いてきたんだろうね。いろんなハンドルネームでやっていたから、もうログを探しても全て見つからないだろうけれど、何万文字?何億文字?書いたかもしれないね。

中2〜高3くらいまではとにかく死にたい時期。あとオタク全盛期。
18歳〜22歳くらいまでは、たまに死にたいっていうか。時々、消えたいっていうか。生きるのが難しいっていうか。うまくいかない期。
22歳から今日までは、岐阜にきてからの出来事ばっかり。こんな発見をしたとか、地元を離れてどう思うとか、こんな人と出会うとか。結婚するとか。どんどん日々に感謝できるようになってくるけど、たまにもう無理〜みたいなときはあった。それでも10年前よりはずっと落ち着いた。おとなになったなぁ。心の調子をみてあげられるようになったというか。

 


そして、この12年間でいろんなひとに出会った。
今はSNSで気軽に繋がれるけど、当時はネットで出会うなんて危険!という意識が強いときだった。
ネットで出会った人と連絡先を交換するなんて絶対やっちゃダメ!ってもう耳にタコできるほど言われたけど、自分で見極めながら連絡先を交換したし、電話した人も、メールした人もいる。もうほとんどの人と連絡はとれないけど、今でも繋がっている人もいる。実際に会った人もいる。そのときの喜びはもうすごかった。ほんとに会えるなんて思ってなかったし。会えたのは社会人になってからがほとんどだけど、それまでの数年間、ずっと文字だけでやりとりしていた人と会えるなんて。

できることなら全てログを残したいくらいだし、すてきな作品たちすべてを読み直したいとも思う。けどもう、そんな時間もなさそうだから、このまま閉鎖されるのを待つことにしました。
利用していた人たちが最後だからと、新たな活動場所を書き残してくれているおかげで、このあとも素敵な言葉に触れることができそうです。それだけはほんとうによかった。即フォローしに行った。

 

主に自分の気持ちの置き場として利用していたけど、最初に小説が書けると教えてもらってから、いろんな小説を読んだし、知らない人の日記も読んだ。すごく美しい短編小説を書く人もいたし、あたたかい文章を書く人もいた。とても憧れた。
いろんな人の本にはならない言葉をもっと読みたかった。本にはないおもしろさがあったのに。
文章の書き方はほとんど掲示板で学んだというか、そこでの書き方が身についている(染み付いているのほうが表現的には正しいかも)。正しい書き方ではないかもしれないけど、書けないということはあまりないし(これが仕事になると苦手なんだけど)、言葉の引き出しは多くはないけれど、できるだけやわらかい言葉を選べるようになったと思う。

 


居場所のひとつがなくなるって、心に小さい穴が空くね。
ぽっかりではないんだけど、ちょっと痛む。たいせつだったんだなって思う。
なくなるときっていつも急で、じわじわ悲しみがこみ上げてくる。普段からたいせつにしているつもりでも、なくなったときの悲しみや後悔はどうしようもない。
ましてや今回は居場所。どうしたらいいんだろうね。わたしの日記はいつもだいたい1000文字くらい。140文字じゃ足りなくて、でもほかのSNSでは気軽な交流は難しい。掲示板であるからこそちょうどよかった。

いつか居場所づくりをやりたいと思っているから、そのことを掲示板にも書き込んでいた。
居場所の形はいろいろあるけれど、今はわたしを助けて、支えてくれたこの掲示板のような世界がほしいって思ってしまう。
いろんなひとと会話できる場所、顔を合わせなくても話せる場所、自分だと知られずに書き込める場所。ほんとうに心地よかったから。

ネット上にも居場所があるって思う。わたしにとって、掲示板はずっと居場所だった。現実の世界で救われることが全てではないし。
その気持ちがさらに強くなったし、すこし前に立ち上げた匿名でのお話サイトをもっと居心地の良いものにしたいと思う。

 

 

閉鎖する掲示板に出会えなかったら、今こうして文章を書くこともなかっただろうな。
どうにもならないモヤモヤと、辛い気持ちを抱えて、いまでもどこかで彷徨っていたと思うし、もしかしたら消えていたかもしれない。そう考えると、命の恩人じゃん……。

ほんとうにもう、めっちゃくちゃ悲しい!けど、出会えてよかった。
なんかね、何度も思うけど、今までのこと全部間違ってなかったと思う。
ずっと死にたかった人間が、今、笑って生きてることでそれを証明しているよね。

いろんなひとと出会って、いろんな世界を知って、いろんなひとに助けられて、今日のわたしがいる。
どの気持ちも忘れないように、良いことも悪いことも全部残してあって、わたしの12年間がぎゅっと詰まっている。
消えるなんて嘘みたい。どこかに残っているとしても、もう見えないなんてさ。
というか、こんなに落ち込むなんてね。自分でもびっくりしちゃう。

 

 

 

出会ってくれたひとたち、素敵な言葉を読ませてくれたひとたち、
運営のひとたち、ほんとうにありがとうございました。
またどこかで、「え!?あの掲示板やってました!?」って人に出会えたら、絶対たのしいな。いつかそんな日が来ますように。

 

 

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2020.6.16

polaris:ぼくらはずっと夜にいる。

 

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明けない夜はないなんて嘘で、ずっと夜に漂っている。

 

自分のことを肯定できない。間違いだらけで、できの悪い人間だ。
判断が遅くて、いつでも不安と心配がつきまとっている。
がんばって生きてきたけど、これでもまだ自分を認められない。
自分で自分のことを責めて、苦しくなって、辛くなって、 。

勝手に辛くなって、嫌になって、悲しくなって、泣いている。
ほとんどのひとにはわかんないと思う。自分でもなんでなのかわかんない、ただ、自分は必要ないと思う。上手に生きることができない。毎日が必死で、困難なことばかり。心が追いつかなくて、息ができない。
どうしようもない気持ちをSNSで当たり散らして、後悔する。唯一、自分の言葉にできるのは、このネット上。それ以外で誰かに相談したり、話せた試しが今まで生きてきて、ほとんどない。安心して話せる場所がない。見えないこのモヤモヤと不安に寄り添うなんて、難しいと思う。
話すのが下手だからうまく話せなくて、言葉にしようとすると涙が出てきて、そういう自分が嫌でまた消えたくなってしまうし、聞いてくれている相手も嫌になってきたり、めんどくさいやつだって思われているんじゃないかと考えてしまうと、ますますちゃんと話せない。
たとえ話したところで、なんでそんなにネガティブに考えたり、先の見えないことや、起きてもないことを心配するの?と言われてきた。ごめんなさい、こんな自分で。
逆にポジティブに考えたり、思ったりするって、どんな感じなんでしょうか。
先のことが心配にならなくて、不安にならなくて、自分を責めないって、どんな感じなんでしょうか。
表面だけを変えることは簡単にできる。無理して笑っていたらいいから。でも、もっと根っこの深い部分、ほんとうの自分を変えることって、そんな簡単ではないでしょ。
だから、もっとポジティブにとか、そんな心配しなくてもとか、言われたって理解ができないよ。ポジティブになろうとして、ポジティブなふりをして、そういうことをしている自分が情けなくて、またいなくなってしまいたくなるから。

しあわせだと感じるときはある、うれしいと思うことも、たのしいと思うことも、ちゃんとある。だから今日まで生きてきてきた。
だけど、どうしても避けられない不安とか、心配とか悲しみとか、そういう見えないものに捕まる。普通ならすぐに抜け出せるのかもしれない、でもわたしはそこから上手に逃げられない。最後までちゃんと相手をしてあげる。
今日を今日だけで完結できない。明日だって自分が続くから。
だめだと言われたら今日だけじゃない、明日だってだめ。ずっとだめ。
だめだと言われた以外の道を探すけど、わたしの心には、だめだという言葉がずっと残っているから、道は途絶える。

心の構造を知りたい。もしかしたら直せるかもしれないから。
ポジティブが正常だとしたら、それが正しいのだとしたら、それになりたい。
ずっとそう思っているよ、でもできないんだよ。
ほんとはポジティブになりたいし、元気な自分でいたいし、自分のことを傷つけたり、必要ないなんて思ったりしたくないし、こんなことだって書きたくない。けど、やっぱり無理だから。
毎日を必死に生きていたら、がんばることに疲れているし、でもがんばろうとして焦っているし、だけどやっぱり上手にがんばれないしさ。そういう繰り返しを何度もしてきた。
ここまで自分の分析ができているのに、なんで上手に生きられないんだろうって思うよ。上手に生きられるように心を組み替えてほしいと思うよ。でもできないから。
だから、消えたいと思う。自分が必要ないと思う。
見えない部分はあるけど、普通に生きているひとが羨ましいと思う。
なんで自分は上手に生きられないんだろうって、何度も思う。
ずっと見えないものと戦って生きている。


ただ自分で自分をどうにか、がんばったりしなくても生きていけるようにしてあげたい。それだけなのに、それがうまくいかない。
生きづらさを感じなくなるようにしたいだけなのに。自分にやさしくしたいだけなのに。

今日だって、上手に終われない。ずっとずっと長い夜の中にいる。
明けない夜はないなんて嘘だ。

 

 

 

 

 

 

おわり

 

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先日、結婚のお祝い会をひらいていただきました。

今まで友人の結婚式に出たことがなくて、披露宴とか二次会とかもずっと無縁で、そういう場所ってどんなことをしたりするのかも知らないし、どんな雰囲気になるのかもわからなくて。
ものすごくどきどきしていて、心配半分、たのしみな気持ち半分。

当日はずっとたのしくて、うれしくて、、とにかくすべてが良い時間でした。全然心配なんか必要なかったなあ。

生まれてからこんなにたくさんのひとに「おめでとう」と祝ってもらえたのは、きっとはじめてだったし、この先、世界的にすごい賞とかとらない限り、今以上におめでとうと言ってもらえることはないんだろうなとぼんやり考えていました。

みんなずっと笑ってて、自分たちもずっと笑ってて、笑い疲れたんじゃないかってくらい、久しぶりにほんとうに良い疲れで、くたくたでちょっと面白かった。
だって、みんながお祝いしてくれる分全部受け取って、わたしたちはずっと高砂に座ってて、ご飯は運ばれてくるし、飲み物も誰か注いでくれるし、みんな写真も撮りに来てくれるし、順番にしゃべりにきてくれるし(なんかえらいひとになった気分)、なにからなにまで全部やってもらって、こっちは何にもしてないのにくたくたになるって。笑
着物を脱いだ瞬間、ど~~~っと疲れが上から降ってきたような感じに笑い合ってしまった。

帰り道の車の運転も、夜ごはんを食べるのもお互いに危なっかしくて、なぜか身体のあちこちが痛いし、とにかく眠たいし、帰ってきてからどうやってお風呂に入ったのかわからないけど、確か21時半すぎにいつもどおりいっしょに眠りました。

眠る前までずっと、今日はたのしかったねとか、まだふわふわしているねとか、ずっと続いてほしかったねとか、もう1回くらいやってもいいねとか、送られてくる写真を見ながらそんな話をしていたのだけは覚えています。

 


人前で話すのが苦手すぎて、あとちょっと泣きそうになってしまってうまく言えなかったけど、結婚してほんとうによかったなと思うし、今でもすなおにうれしいし、毎日がとてもたのしいと思えるし、ほんとうに感謝しかないです。
自分の家族が離ればなれになってしまったとき、誰かに必要とされたいと強く思ったのを覚えています。わたしはずっと、ずっと、誰かに愛されたいと思っていました。きっと、母にも祖母たちにもたいせつにしてもらっていたのだと思うけど、当時14歳だったわたしのからっぽになってしまったこころでは、何かを感じることも信じることもできなくて、それをこじらせて、そのまま大人になってしまいました。


はじめて出会ったときは、なんだこのひと……と思っていました。気づいたらススっとわたしの中に入りこんできて、いつのまにかいっしょに暮らすようになって。だいぶ甘やかされて、萎びていたこころがまるまる太っていく、おっきな愛に包んでもらえて安心して眠れる、空っぽだった自分がどんどん満たされていく、ずっと真っ暗だった日々に明かりが灯っていく。


いっしょにいると心地よくて、それがすこし不思議でした。でもこの人と、こんなあったかい日が続いたらいいなと思っていました。だから、名字がおそろいになって、左薬指にぴかぴか光る指輪がやってきた日、とっても、とっても、うれしかった。名字はまだ慣れないけど。

歌った歌の2番目にある「日の当たる街を日陰で眺めてた僕に 手を差し伸べてくれたのは誰でもない 君だから」という歌詞がわたしにとって、まさにそのとおりで、ずっと暗いところでぼんやりしていたのに、見つけてもらって、絡まっていた色んなものを丁寧に解いてもらって、こんなわたしを拾ってくれて、たいせつにしてくれて、ほんとうに感謝しかないです。

ありがとう以上にありがとうと思っています。そして、これからもあったかい日が続くように仲良くいられるよう、努力とかがんばると言うとちょっと変だけど、でもいっしょにがんばっていきたいと思います。


そしてお祝い会の準備をしてくれたみんなにも、会いに来てくれたみんなにも、ほんとうに感謝しています。ありがとう。


二次会的なことをしようとあまり考えていなかったので、お祝い会を開いてもらえて、そして何から何まで準備もしてもらって、会いたい人たちに会うことができて、ものすごくお祝いしてもらって、ただひたすら楽しい時間を過ごさせてもらって、すべてに感謝しかないです。
返せるかわからないけれど、いつか、なにか返せたらいいな。いつももらってばかりなんだけど。

自分はすてきなひとたちに出会えたんだなと改めて感じました。
そう思ったら、いままでの日々とか辛いこととか、やっぱり悪くなかったと思える。遠回りしなかったら、もしすんなり生きることができていたら、今ここにいなかったと思うから。出会ってくれてありがとう。

 


最後の別れみたいな文章になってしまったけど、死にません。笑


無事に結婚式もお祝い会もおわり、すこしほっとしています。お祝い会から3日目なのに、まだ疲れ取れず、余韻の中にいるようなきもちです。それとなんかすこし寂しい気持ちもあります。でもちゃんとぜんぶおわりました!ほんとうによかった!
みんな、ほんとうにほんとうに、ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくね。

 

歌ったのはこの2つでした。

想像していたより緊張して歌えなくなってた……(カラオケのお誘いお待ちしています)

https://youtu.be/-EKxzId_Sj4

https://youtu.be/ZneNn6uxAdo